--- (最初の証言) ---
(ルカによる福音書16章19説)ある金持ちがいた。いつも紫の衣や麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身できものだらけの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のできものをなめていた。さて、この貧乏人は死んで、天使たちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムよ。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。あなたは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、あなたは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとあなたたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
神の御言葉である聖書は天国と地獄についてはっきりと述べています。読んだ部分で主はふたつの場所について語ります: 天国と地獄・つまり罪の裁きか救いの道。中途半端はありません。カトリック教徒が信じる煉獄はありません。人間が死んだら天国に行く前に煉獄にいるわけがないのです。聖書にはっきりそう示されています。
【1995年4月11日】 神は私達の人生を変える啓示を与えてくれました。私達が神と神の御言葉に出会ったばかりの頃でした。私達は、この啓示を世界中の人々に知らせるように神に選ばれた7人の若者です。それは大きな責務であり、恩恵であります。
この経験は午前10時ごろに始まりました。次の日のピクニックの準備を整えた後、みんなで祈り始め、10時ごろ突然に窓から強く白い光が現れました、この光が現れたとたん、私達は他国語で喋り始め聖霊の洗礼を受けました。
私達はその時の出来事に驚き、また魅せられていました。その栄光に満ちた光は部屋中を照らしていました。 太陽光より数倍強い光だった。その光の中に白い衣を着た多数の天使がいた。その天使達はあまりにも美しく、背が高かく、とても神々しかった。
天使達の間に、本当に驚くばかりの姿を見かけました。それはある男性の姿でした。彼は特別な存在であり、白いマントと衣を着ていました。彼の髪は黄金の糸のようでした。彼の顔は強く輝いていたからよく見ることができませんでした。そして「王の王、主の主」と彫刻された金の帯が彼の胸を締めていました。純金のサンダルを履いていた彼は誰にも比較できないほど美しかった。その男性を見たとたん、私達は皆ひれ伏しました。
それからは彼の声を聞き始めました。素晴らしく特別な声でした。各言葉は両刃の剣のように私達の心に入り込んだのです。ヘブル書4章12節に書いてあるとおりでした。彼はシンプルでありながら強力な言葉を述べました。彼ははっきりと私達にこう言われました:「親 愛なる弟子達よ、恐れるな。私はナザレのイエス。私はある恩義を見せるためにここに来た。 あなたたちがその恩義をあらゆる街、あらゆる国、あらゆる場所 に伝えて欲しい。私が行くように示す場所にあなたたちは必ず行く。しかし行かないように示した場所にあなたたちは決して行かない。」
神の御言葉である聖書のヨエル書2章28節より:「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」神がすべての人のために準備した時代は今であります。
そして、不思議な出来事がありました。部屋の真ん中に岩が現れたのです。その岩に登るように私達は主に言われました。岩は床から20センチぐらい浮かんで いた。突然岩に大きな穴が現れました。黒く恐ろしい空洞や洞窟でした。早速私達は岩の上に上り空洞に入り込みました。私達は地球の真ん中に導かれました。
私達は暗闇の中で恐怖におびえていました! あまりにも恐かったため、私達はイエスに「主よ、その場所に行きたくないです! 私達をここから出してください!」と頼みました。 主は情け深い美声で答えられました。「この経験は重要です。これから見るものを他の人に伝えなければなりません。」
角の形をしたトンネルには、動く影・悪魔・あっちこっち動く異様なものを見かけました。私達はますます深く入って行った。あっという間に、私達は空虚と大な恐怖を感じ始めました。
私達はある洞窟に着きました。そこには、迷路のような恐ろしいドアが数々ならんでいた。私達はその中に入りたくなかった。その場所の強い悪臭と高温に窒息 しそうな気がしました。そこに入ったら恐ろしいもの、とても恐ろしいものを見ました。その場所は全体的に炎で包まれていた。しかも炎の中で何千もの人が燃 えていた。その人達は激しい苦痛で苦しんでいた。あまりにも恐ろしい風景だったので誰も見ておられませんでした。
その場所は苦痛により区分されていた。主に見せられた一部分は「大釜の谷」と言う。そこには無数の大きな釜が地面にはめ込まれ、各釜の中に溶岩が燃えていた。そして各釜の中に、地獄に落ちた一人の死人がいた。
そこにいた人達は皆、主を見かけたら次のように叫び始めました、「主よ、私を哀れんでください! 主よ、ここから逃れる機会を与えてください! おお主よ、私をここから救い出していただければ、この場所は本当に存在すると必ず世界中に伝えます!」 しかし、神は彼らの顔を見ようともしなかった。その場所には無数の男性・女性・若者がいた。すごく苦しんでいる同性愛者とか大酒のみの人も見かけた。その人達は激しい苦痛の中で叫んでいた。
彼らの体の滅び方を見るのは衝撃的な経験だった。彼らの眼窩、口や耳にたくさんのうじが動き回り、体中の皮膚から出入りしていた。聖書のイザヤ書66章24節に書いてある通りだった。「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」マルコ9章48節より「地獄では、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火も消えることはない。」
私達は目の前でそれを見て怯えました。炎は3~4メートルぐらいの高さだった。各炎の中に地獄に落ちた人間が燃えていた。
主はある釜の中にいる男性を私達に見せました。彼の顔の肉はばらばらと落ちていた。彼は一心に主を見つめていた。そして、いきなりイエスの名を大声で叫び始めた。「主よ、私を哀れんでください! 主よ、もうひとつだけのチャンスを与えてください! 私をここから出してください!」と 彼はせがんだ。しかし、主イエスは彼の顔を見られませんでした。イエスは単に彼に背を向けられました。そうすると、その男性は主をののしり始めた。そんな 彼の名はジョン・レノン、「ザ・ビートルズ」という悪魔崇拝ミュージックバンドの一員であった。ジョン・レノンは生涯主イエスを揶揄した。キリスト教が消滅し、イエス・キリストは忘れられると彼は宣言した。しかし、彼は今地獄にいながらイエスは生きている! しかもキリスト教は全く消滅されていない。
その場所をあっちこっち歩き始めると、人々は手を伸ばし哀れみを乞いだ。地獄から助け出されるようにイエスに頼もうとしても、主イエスは彼らに振り向かれなかった。
私達は地獄の各部分を通った。そして、地獄一恐ろしい所であり、最高の苦しみがあるという地獄の中心に着いた。人間が表現できないほどの拷問がそこにあっ た。そこにはイエスと神の御言葉を知っていた人しかいなかった。牧師・伝道師・宣教師などイエスを受け入れ真実を知った人々だった。しかし、彼らは二重生 活を送っていた。
もとの悪習に戻った人々もいた。彼らは誰よりの数倍も苦しんでいた。大声で哀れみを乞う、でも、ヘブル書10章26-27節での神の御言葉はこう言う、「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」
彼らは説教をし、断食をし、教会では手を上げながら賛美歌を歌ったが、教会の外では姦淫・不品行・偽り・盗みなどの罪を犯していた。神を偽ることはできません。「多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求される」。(聖書より、ルカ12章48節)
地上ではクリスチャンだった二人の女性を主に見せられました。二人はクリスチャンだったが神にもとづく道義的な人生を送らなかった。「この女め! あんたのせいであたしたちはここにいる! どうしてあたしに聖なる福音書を教えてくれなかったの! どうしてあんたは真実を教えなかったの! あんたのせいで今あたしたちは地獄にいるのよ!」と彼女達は互いに言い合った。地獄には博愛・哀れみ・寛恕の気持ちは存在しないため、憎み合う二人の女性は炎の中で互いにひどい言葉で言い合っていた。
神の御言葉を知りながら汚れた生き方をした数千の人が地獄にいた。「神と地獄の炎を軽んじてはいけない」と主イエスは言われた。それに「我が親愛なる子たちよ、地上の最悪の苦しみは地獄の最も軽い苦しみとは比べ物にならない」と主は言われた。地獄の軽い苦悩は恐ろしいけど、地獄の中心部にいる偽(にせ)クリスチャンの苦悩は更に恐ろしいものである。地上の炎と遊ぶことはできるが、地獄の炎と遊ぶのは無理だとも神は言われた。
私達は地獄を歩き続きながら色々の人を主に見せられました。私達はおよそ6種の処罰を見た。あらゆる拷問の方法でたくさんの人を苦しめさせる悪霊も見た。「あなたに神の福音が宣べ伝えられたことを思い出せ。地獄について聞いたとき、笑った自分のことを思い出せ」と自分を責めることも恐ろしい処罰である。そういう自分の心は、うじや強力な炎のように彼らを苦しめさせた。それは悪魔(サタン)に従う者の報酬である。
黙示録21章8節より:「おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
その後、主は6人を殺害した男性を示しました。被害者6人は「あんたのせいで私達はここにいるよ、”あんたのせいで”!」と大声で男性を責め続けた。殺人者は耳をふさいでも、地獄で人間の感覚がするどくなるから被害者達の声から逃れることはできなかった。
そこにいる人間は、聖書にあるラザロと金持ちの話(ルカ16章19節)のように水で満足できないひどい「渇き」で苦しんでいた。水の1滴だけが地獄にいった金持ちの苦しみを和らげることができた。イザヤ書34章9節ではこういう:「エドムの川は樹脂に、その土は硫黄に変わり、その地は燃える樹脂になる。」 地獄ではみんな炎の中にいる。炎の中から水晶のように光る川が見える。彼らが川に行こうとしたら、川が火に変わった。水分たっぷりの果樹もあった。しかし、手を伸ばしたら木の実が火に変わり、悪霊達は彼らをあざ笑った。
それから神は私達を更に恐ろしい場所へ案内した。私達は硫黄の燃えている火の池を見た。火の池の近くにより小さい火の池があった。小さい池には、主の哀れみを泣き声で懇願する無数の人がいた。彼らは「主よ、お願いです! ちょっとだけでも私達をここから助け出してください! お願いです、ここから出るチャンスを与えてください!!!」とせがんでいた。しかし、彼らは既に裁かれていたから主は彼らを見ようとも為されませんでした。
数百万人の中から、主イエスは火の池に溺れそうな男性を指しました。私達は主の意志で彼の考えを聞く事が出来ました。彼の名はマルコ。マルコが頭の中で自分に言っていたことに私達は驚いた。次の考えを聞くことにより重大な訓戒を受けた:「あなたたちの立場にいるためなら私はなんでもする! 1秒だけでも地上に戻れるように何でもする。世界一不幸な者になっても、世界一病弱な者になっても、世界一嫌われ者や世界一の貧乏人になってもかまわない! 地上に戻るためなら何でも出来る! 1秒だけでも。」主イエスは私の手を握っていました。イエスは次のようにマルコに答えられました:「マルコ、何のために1秒だけでも地上に戻りたいのか?」苦痛あふれる泣き声でマルコはイエスに「主よ!ただ自分の罪を悔い改めて救われるために1秒だけでも地上に戻るためなら私は何でもする」と言った。
マルコがそう言うと、主イエスの傷口が出血し始めた。イエスは涙を浮かべながら「マルコ、もう手遅れだ! 君の下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたのおおいとなる」(イザヤ書14章11節)と答えられると、マルコは永久に火の池に沈んだ。残念ながら、地獄にいる人間には希望がない。地上にいる者だけに、未だに罪を悔い改めためることにより主イエスと共に天国に行く機会があるのです。
これからは、ルーペ姉妹が続ます。ご清聴ありがとうございます。
--- (2番目の証言:ルーペ) ---
親愛なる姉妹兄弟達よ、神の祝福が訪れますように。詩篇18章9節から主の御言葉を読んで見ましょう。「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。」 主イエスが私に手を伸ばすと、私は主の手を握り洞窟の中のトンネルを下がり始めました。自分の手が見えないぐらいトンネルの中はますます暗くなっていました。
突然、 暗くきらめく何かを通ったら騒音がしました。トンネルの壁には触ることができないぐらい暗かった。自分の魂が体から離れるかと思わせるほど速いスピードでトンネルを下っていました。
すぐに強い悪臭に気づきました。腐った肉のような臭いがだんだん強くなってきた。その時無数の人、正に数え切れないほどの人間の声を聞きました。彼らは叫び続け、泣きうめいていた。あまりにも恐かったから私は主に向かって「主よ、私をどこに連れて行かれますか? 主よ、哀れんでください! どうか哀れんでください!」 とせがんだ。 主はただ「あなたはこれを見なければならない。全ての人にこれを伝えるためだよ」と答えられました。
角の形をしたトンネルを通ったら、完全に暗い所に着きました。その時、まるで目の前にあった幕が開けられたように私は無数の炎を見かけた。さらに、無数の人間の苦しい叫び声を聞いていたけれど、誰かは見分けることができなかった。私は実際にすごく怯えていた。「おお、主よ。私を哀れんでください! 哀れんでください! 私をその場所へ連れて行かないでください! どうか赦してください!」と主イエスに頼んだ。私は自分が地獄を見ている第3者と思わず、自分が裁かれるかと思い込んでいた。本当に自分の終わりだと思い込み主イエスの御前でひどく震えていました。
私達は前で猛然と燃えている大きな炎に向った。数百万の泣き声がずっと聞こえ、無数の炎が見つめられた。
そ の後、火に燃えていない木材のテーブルを見かけた。テーブルの上にはビールのボトルがあった。清涼そうに見えたけど、ボトルの中には火が入っていた。突 然、一人の男性が現れた。彼の肉はすでにほぼ完全にくずれ、残った衣の断片は泥だらけで燃えていた。彼は火により眼球・口・髪の毛を失っていた。眼球を持 たなくても彼は私を見ることができた。実は肉体ではなく、人間の魂が考え・論じ・見るのである。
彼はやせこけた手を主に伸ばし、泣き始めた。「主よ、私を哀れんでください! 主よ、私を哀れんでください! 痛すぎますよ、私は燃えています! 私を哀れんでここから出さしてください!」主イエスが慈悲深く彼を見つめられたら、私は手に温かいものを感じた。手を見たら、血があった! 主イエスの血でした! 主イエスは炎に燃えている男性を見つめられたら、手から出血し始めたのです。
すると、男性はビールを見つめテーブルに歩み寄った。彼がビールを飲もうとしたら、ボトルの中から火と煙が噴出した。私は今まで聞いたことのなかった激し い叫びを彼から聞きました。苦痛に叫んだ男性はボトルの中身を飲み始めた。ボトルの酸性飲料は男性ののどを崩した。酸性飲料が彼の胃袋を痛めるのが見え た。
男性の額には666という数字が彫ってあった。胸には、うじや高温に強い板金があった。板金には私達に読めない文字が彫ってあった。主は慈悲深く板金の文字を解読された:「私は酒のみだからここにいる。」と。彼は主の哀れみを懇願したが、神の御言葉は第1コリント6章10節ではっきりと告げている:「盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。」
主は地上における男性の最後の瞬間を映画のように私に見せました。彼の死ぬ前の数秒間をテレビで観る感じでした。ルイースという名の彼は居酒屋で酒を飲んでいた。地獄で見たテーブルとビールのボトルはその居酒屋のであった。そのテーブルにルイースの友人達がいた。【私はあなたにこれを保証します: 私達にはたった一人の本当の友人がいる。その名はイエス・キリストです。彼は忠実な友であります。】 酔っ払ったルイースは友人達と一緒に飲んでいた。ある親友が手に取ったボトルを割りルイースを刺し始めた。床に倒れた血まみれのルイースに気づいた時、そ の親友は足早に逃げた。ルイースは出血多量のため死んだ。ルイースが主イエスを受け入れずに死んだというのが一番悲しいことだった。
無数のわめき声を聞きながら、私は主にこんな質問をした。「おお主よ、どうかお答えください。この男性はあなたを知っていましたか? 彼は主の御救いについて聞いたことがありましたか?」 主イエスは悲しい顔でこう答えられました:「はい、ルーペ。彼は私を知っていた。ルイースは私を救い主として受け取ったが、私に仕えなかった。」 私は更に恐怖に怯えた。「主よ、痛すぎますよ! あまりにも痛すぎますよ! どうか私を哀れんでください!」とルイースは大きい泣き声で叫んだ。彼はもう一回主イエスに手を伸ばしたが、主は私の手を握り炎から歩き出されました。ルイースを燃やす炎は更に強くなっていく。いくら彼が「私を哀れんでください! 私を哀れんでください!」と大声で懇願しても、もう救いようはない。彼は炎の中で滅んでいた。
私達は歩き続けました。非常に大きく恐ろしい場所でした! もうひとつの炎に近づいたとき、私は主イエスに頼みました:「主よ、嫌です! もうこれ以上見たくないのです! どうかお赦しください! これを見たくないです!」と。そして私は目を閉じたけれど、無理でした。目を開いても、閉じても見えていた。炎はだんだん弱くなり、その中に一人の女性の姿が見えた。彼女はうじと泥だらけだった。うじいっぱいの泥は彼女のうすい髪の毛を固めていた。その女性の体は完全にうじに食われていた。「主よ、私を哀れんでください! どうか私を赦してください! 私をご覧ください。痛いですよ! どうかこのたくさんのうじを取り除けてください! 痛すぎますから、この苦しみから私を逃してください!」と彼女は大声でせがみ始めた。主はただ悲しい表情で彼女を見つめられた。そのとき、私達が主の手を握ると、地獄の炎で滅びる者に対する主イエスの心の痛みと悲しみを感じました。
彼女は眼球と唇を失っていたにもかかわらず、見ることと感じることが出来た。しかも魂の感触はよりするどいため、苦痛をより強く感じていた。彼女は酸性液 体の入ったボトルを手に取っていた。それが香水だと思い込んでいた。明らかに酸性液体であるものを、彼女は体に付けると肌が焼き尽くす。なのに、彼女はそ のものをたっぷりと体に付けていた。しかも自分の首には美しい首飾りがあると彼女は思っていた。しかし、彼女の首はたくさんの蛇に締め付けられていた。高 価なブレスレットを付けていると彼女は思い込んでいたが、あれは明らかに彼女の骨に突っ込んでいた30センチぐらいのうじだった。自分が持っている宝石が 自分の宝物だとその女性は言うけれど、彼女の体中はさそりとうじに包まれていた。彼女の胸には「私は盗人だからここにいる」と彫った板金があった。
その女性は自分の罪を全く後悔しなかった。「マダレーナ、何故ここにいるの?」と主イエスは彼女に問いかけた。「他人を盗むのを気にしませんでした。私はただ宝石と高価な香水をますます手に入れることだけを気にしていました。綺麗になるためなら、どんな人でも盗みました。」とマダレーナは答えた。
彼女の体中を出入りするうじを見て、私は主イエスの手を握った。マダレーナは何かを探していたらしい。私は主にこんな質問をしました: 「主よ、この人はあなたを知っていましたか?」「はい、この人は私を知っていた」と主イエスは答えられた。
「主よ、あなたについて語る女性はどこにいらっしゃいますか? 私は15年間地獄にいますよ」とマダレーナは主に問いかけた。地獄にいる人は自分の人生の全てを覚えている。マダレーナは 「あの女性はどこですか? 彼女の姿が見えません」と話し続けていた。私はマダレーナの体は動けないということに気がつきました。ほかの炎の中で、マダレーナは神について語る女性を探そうとしていた。主は「違うよ。彼女はここにいない。私について語る女性は、私と共に我が天国にいる。」と言われた。
それを聞いたマダレーナは炎に巻き込まれ、更に燃え始めた。板金によると、彼女は盗人だった。イザヤ書3章24節にある神の御言葉を見てみよう: 「こうして、良いかおりは腐ったにおいとなり、帯は荒なわ、結い上げた髪ははげ頭、晴れ着は荒布の腰巻きとなる。その美しさは焼け傷となる。」
主イエスと一緒に歩き続く途中、私はうじだらけの大きな柱を見かけました。その近くに赤熱した坂道があった。柱には、どこからでも見える派手な看板があった。看板には「全ての嘘つきと毒舌者、ようこそ。」と 読めた。坂道の終わりには沸騰する小さい池があった。燃える硫黄のように見えた。全裸の人間が坂道を下っているのを目にした。彼らが体を動かすと皮膚がぽ ろぽろと落ちていた。その人達が沸騰する池に落ちると、彼らの舌が破裂するまで大きくふくらみ、舌があった所にうじが現れた。それから彼らの拷問が始まっ た。詩篇73章18-19節より、「まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。まことに、彼らは、瞬く間に滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。」
それを見た後、私達は地獄から戻されました。天国と地獄は、この世界より現実的なものだと保証します。どちらに行くか決めるのはあなた次第です。イエスと共に永久の命を過ごすか、燃える地獄に行くかどちらかを決めるのはあなたです。主イエスは私達にこう告げられます: 「きよくなければ、だれも主を見ることができません。きよくなければ、だれも主を見ることができません。」(ヘブル書12章14節)だから私はあなたにもこれを言います: 「きよくなければ、だれも主を見ることができません。」
--- (3番目の証言:サンドラ) ---
マタイ10章28節にある神の御言葉を読んで見ましょう:「体を殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいも体も、ともに地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
地獄に着く人間は死の体を受けます。主イエスは私の手を取り、地球の中心部へ導く真っ暗なトンネルを下り始めました。数々のドアが並んでいる場所に到着し た。あるドアが開いて、私達は主と一緒に入りました。私はずっと主の手を握っていた。そうしなければ、永遠に地獄に残されてしまうということがわかってい たからです。
ドアを通ると、大きな壁があった。無数の人がフックで頭から吊るされ、壁から手錠がかかっていた。どこを見ても、炎の中に燃えている無数の人がいた。
私 達がある炎のところへ行ったら、その炎がだんだん弱まってきた。すぐに炎の中に一人の男性の姿が見えてきた。彼はぼろぼろになった汚い聖職者の衣服を着て いた。たくさんのうじがその男性の体中を駆け抜けていた。彼は火に黒焦げしたらしい。眼球は引っ張られ、彼の肉は溶けていた。しかし、肉が完全に溶け落ち ても、男性の体に戻り再び溶けていた。
主イエスを見ると、男性は「主よ、私を哀れんでください! 哀れんでください! 一瞬だけでもいいから、私をここから出してください! 一瞬だけです!」 と叫び始めた。その男性の胸には「私は盗人だからここにいる」と彫った板金がかかっていた。
「あなたの名は?」とイエスは彼に問いかけられた。「アンドレと申します」と彼は答えた。主は「どのぐらいここにいるの。」と問いかけられると、アンドレは「ずいぶん長い間です」と答えた。それからアンドレは自分について語り始めた。彼はカトリック教会で、十分の一を集めることと貧しい人を助ける責任者だった。しかし、彼は貧しい人を助けるための献金を奪っていた。慈悲深い目つきで主は「アンドレ、あなたは福音を聞いたことがある?」と聞かれた。アンドレはこう答えた:「はい。ある日、一人のクリスチャン女性が我が教会にやってきて私に福音を説きましたが、信じたくなかったです。しかし、今は信じますよ! 現実だと信じますよ! 主よ、お願いですからどうか私をここから出してください! ちょっとだけでもかまいません!」
ア ンドレが話していた途中、眼窩と耳からうじが出てきて口の中に入り込んだ。彼はいくら手でうじを取り除こうとしても無理だった。怯えさせるような叫び声で アンドレは主の哀れみを懇願していた。あの場所から逃げれるようにイエスにせがみつづけた。それに、悪霊達はずっと槍でアンドレを刺し拷問していた。その 悪霊達は「ジョルダーノス」という地上の人形にそっくりだった。地獄にいる人形は可愛いものではなく、凶暴な姿をして生きていた。地上の人形に似た悪霊達 は身長90センチぐらいで、するどい歯を持っていた。彼らの口は人間の血をたらし、真っ赤な目をしていた。
その悪霊達はアンドレやそこらへんにいる人間を全力で突き刺し続けていた。その風景を見た私は、「何故地上にあるおもちゃの人形がこんなに地獄の悪霊にそっくりですか」と主イエスに聞いてみた。あれは悲哀の霊だと主は答えた。
歩き続けたら、激しく苦しんでいる無数の人間を見かけました。彼らは主イエスを見かけると、やせっぽちの手を主に指し伸ばそうとした。その中にイエスを見かけたら大声で叫び始めた女性がいた。「主イエスよ、どうか私を哀れんでください! この場所から私を出してください!」 あ まりにもひどい苦痛をなめていた彼女は主に手を伸ばした。一瞬だけでも地獄を出させてもらうように彼女はせがみ続けた。その女性は全裸で泥まみれだった。 たくさんのうじが彼女の汚い髪の毛と体中をはっていた。うじを手で取り除こうとしても、ひとつを落としたらたくさんのうじが現れた。長さ13-17センチ ぐらいのうじだった。マルコ9章48節に書いてある神の御言葉のいうとおりだった。「そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがない。」
貪欲的にうじに食われている彼女の姿を見ることと、彼女の泣き声を聞くことが恐ろしかった。彼女の胸には「私は姦淫具だからここにいる」と 書いていた板金があった。その罪を犯していた頃と同様に、彼女はずっと太い蛇にレイプされていた。角だれけの体をした蛇の長さは13-17センチぐらい だった。その蛇は彼女のデリケート・ゾーンを挿入し、のどに届くまで彼女の体中を駆け抜けていた。蛇が入ると、彼女は叫び始めた。
あの場所から出してもらうために、彼女は更に激しく懇願した。「主よ、私は姦淫罪によりここにいます。7年前エイズで死にました。6人の愛人がいたから私は姦淫罪によりここにいます。」 彼女は地獄で自分の罪を行なわなければならなかった。昼も夜も休むことなく、こんな風に拷問され続けていた。彼女は主イエスに手を伸ばそうとしたけど、主はただ次のように述べられた:「ブランカ、もう手遅れだ。あなたの下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたのおおいとなる。」(イザヤ書14章11節)主がこう述べられると、強い炎が彼女を包み込みそれ以上彼女は見れなくなった。
私達は無数の人間を眺めながら歩き続けた。そこでは若い人・大人・老人が苦しんでいた。すると、数百人の男性と女性が入っている大きな火のプールに着いた。各自の胸には「私は十分の一と奉納物を捧げないからここにいる」と書いた板金があった。それを読むと、私は主に問いかけた:「主よ、その理由で人がここにいる可能性がありますか?」 主はこう答えられた:「はい。私は我が御言葉で十分の一と奉納物を命じたのに、彼らに無視された。」 マラキ書3章8-9節はこう言う:「人 は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのも のを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全 体が盗んでいる。」
その人達が十分の一を捧げなかったとき、神の御わざが妨げられ福音が伝道されずにいたと主は言われた。そこにいる彼らは、神の御言葉を知っていたのに聖書に従わなかったため、ほかのだれよりも激しく拷問されていた。
歩き続ける途中、主イエスは一人の男性を指された。私はその男性のウエストと頭しか見れなかった。すると、彼の死を幻視をできた。彼に名はロジェーリオ。 彼が車に乗っていたとき、ある人が彼に福音を伝道するために車に近づき、聖書を差し出した。しかし、ロジェーリオはその人の警告を無視し、数分後自動車事 故が起ころうとも知らず運転し続け、絶壁から落ち即死した。
車が墜落したとき、聖書は黙示録21章8節に開いた:「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」ロジェーリオがそれを読んだとき、既に死んでいて地獄に着いた。
彼が地獄に着き1ヶ月間しか経てないかったから、顔の肉はまだちょっと残っていた。しかし、ロジェーリオは誰よりも激しく苦しんでいた。最初は、地獄にいることに気づかなかった。あのクリスチャンが彼の車に近づいたとき、彼には主イエスを(救世者として)認める機会が与えられた。同様に、たくさんの人にも主イエスを認める機会があった。今日、あなたはイエスに心を開いて見ませんか。イエスだけが道であり、真理であり、いのちなのです(ヨハネ14章6節)。 イエス以外には、だれによっても救いはありません(使徒行伝4章12節)。 主のまっすぐな道を清く正しく従わなければなりません。神の幸福が訪れますように。
--- (4番目の証言) ---
兄弟達よ、神の幸福が訪れますように。主イエスが私の手を取られたとき、私達は岩の上にいました。後ろに一人の天使の姿を見かけました。すると、信じがたい速度で洞窟のトンネルをみんなで通りはじめました。あの天使がいなくなったことを気づくと、恐くなりました。「主よ、あの天使はどこにいらっしゃいますか? 何故ここにいらっしゃらないのですか?」 と私は主イエスに聞いた。主の答えとは「これから私達が行く場所に、彼は行けない。」でした。
私達はすぐに到着しました。そこには数々のドアがあり、サンドラ姉妹が語られとおり、私達はあるドアを通りました。手錠をかけられたたくさんの人がフックで頭から吊るされていて、その人達がかけられていた壁は果てしなく長かった。無数の人が壁にかけられていた。彼らの体中はうじで包まれていた。先を見てみると、同じ様なもうひとつの壁を見かけた。私は主イエスにこう言った: 「主よ!こんなにたくさんの人がここにいるなんて!」 すると、私の頭の中に聖書のある文書が浮かんだけれど、どこからの引用かわからなかった。そのとき、主イエスは次のように言われた:「陰府(よみ)と滅びとは飽くことがない。」(箴言27章20節)
そしてすぐ 「大釜の谷」に着いた。私達は、泥が沸いているひとつの大釜に近づいた。初めて見えたのは、一人の女性だった。彼女は沸く泥に浮かんでいたが、主イエスが彼女の方に目を向けられとき、彼女は暴れるるのを止めた。「女、名前は?」と主は問いかけられ、「ルビエーラです」と彼女は答えた。
ルビエーラの髪の毛は泥だらけで、火に焼きついた体中の肉はぼろぼろと骨から裂けていた。うじは眼窩や口を駆け抜け、鼻の穴から入り耳から出ていた。入れない所には、うじは穴を掘った。それは言い表すことが出来ないほど痛かった。
「主よ、どうか! どうか、私をこの場所から出さしてください! 私を哀れんでください! もうこれ以上耐えることが出来ません! 止めさしてください! もうここにいられません! どうか、私を哀れんでください!」 と 彼女は大声で主イエスに懇願した。ルビエーラがその場所にいる理由を主イエスは彼女に問われた。虚栄心を抱いていたためでルビエーラは地獄にいた。彼女の 胸にある板金に虚栄心と書かれていた。ルビエーラは片手にごく普通のボトルを持っていたけど、彼女にとってそれは高価な香水だった。実際にはそれはルビ エーラの肉を痛ましく溶かす酸性液体だった。
「どうか、私を哀れんでください! これ以上ここにいられません! 一瞬の間でもかまいませんから、お願いします!」と 彼女は主に叫んだ。香水を使うのは決して罪ではない。その女性は香水のせいで地獄にいたと主イエスは言われたけれど、その意味とは、彼女は香水を自分の神とし、拝んでいたからだ。主は申命記5章7節ではっきり言われています:「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」 彼女の人生で最も大切なものは自分の美貌や香水で、虚栄心あふれる生活を送っていた。しかし、主イエスは王の王であられ、主の主であられる! 人間は皆、主イエスを自分の最も大切な存在にしなければなりません。だからルビエーラはそこにいた。悲しい表情で主は彼女を見つられめ「ルビエーラ、もう手遅れだよ。あなたの下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたのおおいとなる。」と伝えられたら、彼女は炎に巻き込まれ、大釜の中で焼き尽くされる彼女は激しく痛ましく苦しんでいた。
その後、その場所から遠く離れた所に着きました。そこには、数々の大きいドアがあった。ドアに近づいたら開いて、向こう側には大きな洞窟があった。私は上 を見上げたとき、煙の雲のように動くカラフルな光線を見かけた。すると、急に音楽が聞こえた。サルサ・バラード・ロックなど人々がラジオで聴くポピュ ラー・ミュージックのあらゆるジャンルだった。主イエスが手を動かしたら、全てが明るくなった。手を鎖でつなげられたたくさんの人びとが炎の上を乱暴に跳 んでいた。
主は私達を見つめながらこう話しかけられた:「見てください、これが踊り子達の応報です。」 彼らは音楽のリズムに応じて野生的に踊らなければならなかった。サルサの音楽が流れると、彼らはサルサのリズムで踊った。彼らには一瞬でも休むことが許されなかった。最悪なことに、彼らの靴の中に12センチのくぎが入っていた。踊るたびに彼らの足はそのくぎに刺された。誰かが休もうとすると、悪霊達はその人を呪いながら槍で刺しサタンを拝むように大声で命じる。「彼を賛美せよ! ここはあんたの居場所だぜ、サタンを賛美せよ! 彼を賛美せよ! 彼を賛美するのを止めてはいかん! 彼を賛美しろ! 彼を賛美しなければならない! 跳べよ、踊れよ! 1秒でも休んではいかん!」
ナイト・クラブで死んだクリスチャンを見るのがつらかった。多分、あなたは「踊ることがいけないなどと、聖書のどこに書いてあるのでしようか」という疑問を持っているかも知れません。ヤコブ4章4節で神の御言葉はこう言われます: 「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」そのほかに、第1ヨハネの手紙2章15-17節より:「世 をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すな わち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこ ころを行なう者は、いつまでも永らえます。」 世は滅びます、これら全てがいつかは滅びるけれど神の意志に従うものは永らえます。
その場所を離れたら、拷問方法により地獄をふたつに分ける橋を見かけた。歩道橋を歩いている悪霊がいた。その悪霊は地上にある「トレジャー・トロールズ」 という人形にそっくりだった。派手な頭に、老人の顔と子供の体を持つ性別を持たない人形である。彼らは邪悪あふれる目つきをしていた。その悪霊は槍を手に 取りながら、どこかの女王か国際モデルのように気高く歩道橋を渡っていた。
彼は歩きながら歩道橋の下にいる人達を槍で突き刺していた。「おまえがクリスチャン教会の前に立って、中に入りたくなかったときを思い出せ! 福音がおまえに伝道されたときは聞きたくなかっただろう? クリスチャン・パンフレットをもらったのに捨てたことが思い出せるかい?」 と悪霊は人々をいじめていた。その人々は、耳があるはずの所を手で塞いでいた。悪霊が黙るように彼らが懇願すると、悪霊は彼らの苦痛を更に楽しんでいた。
私達は主イエスと一緒に歩き続けました。ある人込みを見かけたとき、他の誰よりも大きい声で叫んでいる男性が目立った。「父よ、父よ!我らを哀れみたまえ!」 と彼は叫んでいた。主は彼の顔を見る気がなかったらしいけど、「父よ」という言葉を聞かれたときは振るえた。主イエスは彼を見つめこう話しかけられた:「父? 私を父と呼ぶ? いや、私はあなたの父ではないし、あなたも私の子ではない。私の子だったら、あなたは私と一緒に天国の王国にいるはずだ。あなた達は悪魔の子だ。」 その男性はすぐに大きい炎に巻き込まれた。
主は私達に、その男性の人生について語られた。主を知っていたため、彼は主を父と呼んでいたのだ。彼は教会に通い、神の御言葉を聞き、神からたくさんの約束ももらっていた。それで「何がありましたか? 何故彼はここにいますか?」と 私達は主イエスに問うたら、主は次のように答えられた:「彼 は二心を持っていた。教会の外では彼は全く違う人だった。彼は自分の心の中でこう考えていた:『まあ、私の近所に住む牧師の先生や姉妹兄弟はいないから何 でも好きにやればいい。』しかし、主の目は全ての人の歩む道を眺めて、主に嘘をつくことと、何かを隠すことはできない。」
神の御言葉より:「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ書6章7節)その男性はほかの誰より数倍苦しんでいた。彼は二重の刑罰を受けていた。罪の刑罰と主を騙そうとした刑罰である。
【現在の人は罪を重さにより順位しようとする。同性愛や強盗や殺害は、嘘や悪口より重い罪だと現在の人は思い込む。しかし、主の御目の前では、これら全ての罪は同じ重さと同じ応報を持つ。「罪から来る報酬は死であり」「罪を犯した者は、その者が死ぬ」と聖書に書いてあります(ローマ書6章23; エゼキエル書18章20節)。 姉妹兄弟よ、友よ。イエスからの招聘を受けてください。主イエスは、只今あなたが悔い改めるようにその御手を差し伸べていられます。神の御言葉により、 自分の生き方を変え、罪を悔い改める者を神は哀れまれます。後で後悔し苦しむより、今信じたほうがいいでしょう。神の幸福が訪れますように。】
--- (5番目の証言) ---
ローマ書6章23節に書いてある神の御言葉より:「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
私達がその場所に到着したら、私は死ぬことの辛さを感じました。私はそこで見たものに怯えていました。無数、正に無数の人がそこにいることを、激しい叫び 声と泣き声からわかりました。完全に暗い場所でしたが、主イエスの存在は暗闇を消しました。すると、苦しい表情で哀れみを涙で懇願している数千人の姿を見 かけました。主イエスが彼らをその場所から取り出すようにせがんでいました。彼らを見るたびに、激しく苦しまれる主イエスの表情を見ると私達も苦しんでい ました。
多くの人は、ただ1分や1秒の間だけでも地獄から出させてもらうように、涙を流し懇願していた。すると、主が「何故ここから出たいの?」と問いかけると、「救われたいからです! 自分の罪を悔い改めて救われたいです!」と彼らは答えた。しかし、彼らには既に遅すぎました。
【只今私達の証言を読んでいる大切な皆様よ。「今」のあなたに、自分の永遠の居場所を決める機会がある。あなたには二つの選択肢がある: 救いの道か、裁きの道か。】
私達は主イエスと一緒に歩き進み、地面は火に焼き尽くされていることに気がつきました。地面から泥と炎が出ていた。どこへ行っても、強い悪臭がしていた。そこにいる人達の叫び声と悪臭のために、私達は吐き気がしました。
遠い所に、ウエストの位置まで燃える泥の中にいる男性の姿を見た。いくら手や腕を出しても、骨から肉が落ちてしまい泥に溶けた。彼の骨格の中に灰色の煙があった。あれは何かと主イエスに聞きました。同じような煙は、地獄にいる皆にあった。あれは罪の体に閉じ込められた彼らの魂だと主は言われた。黙示録14章11節と同じようなものだった。「彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得られない。」
私達は全く知らなかったことを理解し始めました。その中で、最も重要な教訓とは次のものです: 地上における私達の人生が、私達が永遠を過ごす場所を決めることである。
主イエスに手を取られながら歩き続けますと、地獄は拷問の比強度により分かれていることに気がつきました。人が拷問されている独房の多い場所に着きました。彼らはあらゆる種類の悪霊に拷問されていた。「この憎たらしい惨めな者! サタンを賛美せよ! 地上にいたときと同じようにサタンを拝め!」などその人達は悪霊達にひどく言われ続けていた。彼らはうじにもいじめられていた。そして、多くの炎は酸性液体のように彼らの体を苦しめさせた。
ひとつの独房では、二人の男性が短剣で互いに突き刺しあっていた。彼らは相手にひどい雑言ばかりを言っていた。「憎たらしい野郎! お前のせいで俺らはここにいるんだぜ! てめえは俺に真実を隠したことで、俺は主イエスに出会えなかった! てめえのせいで俺は主を知りえなかった! 何回も機会はあったのに! でも、てめえは俺に主のことを知らせなかった! どうすんだよ! だから俺は昼も夜この場所で苦しんでいる!」
地上における二人の男性の人生を幻視で主に見せられました。二人は居酒屋にいた。すると、何か意見の衝突で彼らはケンカをし始めた。二人は酔っていて、一 人は壊れたビンを取り、もう一人はナイフを出した。互いにひどく刺されるまで、二人はケンカし続けた。その結果、二人とも死んだ。この場面を、彼らは地獄 で永遠に繰り返す。しかも、彼らには昔まるで兄弟のように愛し合っていた記憶が有り、彼らを更に苦しめさる。
【真の友は一人しか居ません。その名はナザレのイエスです。主は真の友です。主はいつでもあなたと共にいるたったひとりの誠実な友です。】
もうひとつの独房の中に、泥に転がっている女性がいた。彼女は泥だらけで髪の毛は乱雑に乱れていた。その独房の中には、大きく太い蛇もいた。蛇は女性の体 を絡み付け、下半身からはじめ体中を駆け抜けていた。彼女は蛇と性交せずにいられなかった。姦淫を犯した男性と女性は、その場所で自分の罪を繰り返さなけ ればならない。しかし、人間の相手ではなく12センチの釘を持つ蛇が相手をする。蛇が入るたびに、蛇の釘は彼女の体の中を破壊していた。「どうか蛇を止めてください! もう嫌です! お願いです止めさせてください!」と激痛に耐えられい彼女は、大きい泣き声で主イエスに懇願した。
私達はいくら手で耳を塞いでも、まだ彼女の泣き声が聞こえていた。更に強く耳を塞ごうとしても、無理だった。「主よ。もう彼女の苦しい姿は見たくないし、もうこれ以上聞きたくないです! お願いします!」と私達は主に言いました。主イエスは「あなた達はこれを見なければならない。私の民は破壊している。私の民は本物の救いの道を無視している。だからあなた達は地上の皆に、ここで見たものを伝わなければならない。」と言われました。
私達は歩き続けて、巨大な炎の池を見かけました。その中に無数の人がいた。彼らは助けを求めるように手を振っていたが、彼らの頭の上にたくさんの悪霊が飛 んでいて、その悪霊達がS字形の穂先で、池の中に燃えている人達を痛めつけていた。しかも、その悪霊達は彼らを揶揄していた:「憎たらしい者! てめえ、サタンを褒めたたえろ! 地上にいた頃と同じようにサタンを褒めたたえろ!」正に数千人の人間がそこにいた。あまりにも恐しい景色だったため、私達はずっと主イエスの手を握っていた。その場所で置き去りにされるのが本当に恐かったからです。そこで感じたものに、私達はすごく怯えていました。
ちょっと先に、苦痛な顔をしている男性の姿を見た。2人の悪霊が男性の上を飛び、槍を突き刺していた。槍を抜くと、男性の肋骨が現れた。悪霊達はずっと彼 をいじめていた。そして、彼は地上にいる家族について苦痛に悩んでいることを主に知らせた。自分の家族がその場所に来て欲しくなかったのだ。彼は家族に救 いのメッセージを伝えなかったことを激しく後悔していた。家族に救いのメッセージを受ける機会があったことを思い出すのが拷問のようだった。自分が偉い人 だったから、家族に救いの道を教えるのを無視した。その結果、彼は妻と子達について悩み続ける。
悪霊達に腕を切断され、彼は燃える泥の中に溺れた。燃える炎にいるのがあまりにも辛かったため、彼はうじのように身悶えしていた。高温のせいで彼の肉は骨から落ちる。すると、彼は泥から出るために這い始めた。しかし、そうしようとする彼は悪霊達に押され、深く泥に溺れた。
数多い悪霊がそこにいた。ひとつの翼を失った悪霊が私の目を引いた。「主よ。何故この悪霊はひとつの翼しか持ちませんか?」と私は主イエスに問いかけた。すると、主はこう答えられた:「ある目的を果たすために、彼は地上に行った。しかし、神の一人のしもべは、彼を地獄に投げた。だから罰として、サタンは彼のひとつの翼を切り取った。」すなわち、クリスチャンの我々には、イエスの御名によって、悪霊と暗闇の支配者を追い出す権力と力を持っています。
【この証言を読んでいる大切な方へ。これは裁きの証言ではなく、神の御救いを語る証言です。これからは、主イエスの眼前にいる自分の状況を見分けることが 出来るでしょう。裁きを抜きにして、主イエスに救われるために、自分の歩む道の方向を変えるの可能です。今、自分の心を主イエスに開き、自分は罪人だと認 めれば、死後のあなたは燃える地獄ではなく神の所に行けます。これがイエスがカルヴァリの十字架に付けられた本当の理由です。
地獄にいる人の多くは、そこにいる理由を全く理解しません。彼らの人生はあまりにも多忙だったため、自分の罪について考えることをしませんでした。大切な方よ、自分の状況はどうでしょう! 嘘をつくことや窃盗をすることや独り善がりでいるのが、やってもかまわないことだと思い込まないでください! 神の眼前でこれは罪です! 大切な兄弟達よ、自分の罪を悔い改め、このようなことをするのを止めてください! あなたが罪を犯さないように、そして主の御顔を眺められるように、私はこのメッセージを送りました。】
--- (6番目の証言) ---
詩篇62章12節「主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。」
主イエスは、あの部屋に現れた朝に私達の手をとって地獄を訪れました。私は説明できないほどすごい恐怖感を感じていました。絶対に主イエスの手を離してはいけなかった。主イエスは私自身の命であり、光であり自分の希望の源だ と実感しました。そうでなければ、私は地獄に見捨てられていたでしょう。自分が地獄に行くことを全く考えたことはありませんでした。しかも、地獄の存在さ え信じていなかったのです。クリスチャンだったとしても、地獄とは煉獄のようなものだと考えていました。しかし、神は私に地獄の現実性を証明してください ました。
私達が地獄に着いたとき、揺れを感じました。そこにいた悪霊達は主イエスの前にいるのが耐えられなく、皆逃げ出しました。ナザレのイエスがそこにいると、 地獄の捕われ人達に分かった時、彼らは更に大きく叫ぶようになった。彼らを自由にすることが出来るのは主のみだと皆わかっていたからだ。その希望を抱いて も、彼らには救いの道がなかった。
イエスと手を繋ぎ歩いて、姦淫者達の所に着いた。イエスは、炎に包まれた女性を見つめられた。すると、彼女はゆっくりと炎を去り始めたが、まだ苦しんでい た。その女性は全裸であったため、体が完全に見えた。悪臭強い彼女の体は完全に汚かった。乱れた髪の毛は黄緑の泥に包まれていた。眼球を失っていたし、唇 はぽろぽろと落ちていた。耳の代わりに穴が開いていた。顔から落ちた肉を、彼女は黒焦げた手で元に戻そうとしても無理だった。そうすると、痛みが増した。
振るえながら彼女は大声で叫んでいた。終わりなく叫び続けていた。うじだらけの女性の腕にトゲだらけで細い蛇が絡んでいた。666という数字が彼女の体に彫ってあった。それは黙示録が語る「獣の刻印」である(黙示録13章16-18節)。 火に燃えない金属で出来た板金が胸についていた。私達に理解出来ない言語で「私は姦淫者だからここにいる」と書いてあった。
「エレナ。何故ここにいるの?」と主イエスは彼女に問いかけられた。エレナは答えようとしたとき、体が苦痛に震えた。姦淫罪によりそこにいると彼女は答えた。エレナは主に赦されるようにせがみ続けた。
私達は彼女が死んだ場面を見始めた。死んだときのエレナは一人の愛人と性交をしていた。主人は出張に出かけていた。しかし、思ったより早く帰宅した主人 は、ベッドにいる妻と愛人を見つけた。主人は台所にあった包丁でエレナの背中を突き刺し、死んだ彼女は地獄に落ちた。死んだときと同じように、全裸でだ。
地獄にいる彼女の背中にはまだ包丁が刺さっていた。それは激しい痛みの元だった。当時のエレナはもう7年間も地獄にいた。その間、生きていた時と、死んだ 時にあったことを思い出す機会があった。ある日、誰かがイエスについて語ったときのことも思い出した。イエスは唯一の救い道であると当時は聞いた。しか し、エレナも含め地獄にいる全員にとって、今は既に手遅れである。
神の御言葉ははっきりと姦淫罪について説明している。姦淫とは、結婚相手ではない人と性的の交わりを保つこと。第1コリント6章13節「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。身体は不品行(姦淫)のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。」第1コリント6章18節「不品行(姦淫)を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。」
イエスとの会話が終わると、エレナは大きい炎に巻き込まれた。その姿が見えなくても、彼女の肉が燃え付く音と苦しい叫び声が聞こえていた。それは説明できない場面だった。
主イエスと一緒に歩き続けると、そこにいる人達を見た: 偶像を礼拝する者、魔術者、不品行を行なう者、姦淫者、嘘つき、同性愛者。あまりにも恐かったため、私達はただ出来るだけ早く地獄を離れたかった。しかし、主イエスによると、それは他の人に伝え信じてもらうために重要な経験だった。
更に力強く主イエスの手を握りながら、私達は歩き続けた。すると、本当に印象的な所に着いた。そこで23歳の若い男性の姿を見た。彼はウエストから炎の上に吊り下げられた。どのような拷問方式かはっきり見分けれなかったが、身体に666という数字が掘ってあるのが見えた。胸の板金は「私は普通の人だからここにいる」と書いてあった。イエスを見かけると、彼は哀れみをせがみイエスに手を伸ばした。箴言14章12節に書いてある神の御言葉はこういう:「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」
「私は普通の人だからここにいる」と書いてある板金を目にしたとき、私達は主に問いかけた。「主よ、それはどんな事ですか? この理由で人がここに来るのが可能なものですか?」 イエスはこのように言った:「アンドレ、何故ここにいる?」アンドレは次のように答えた:「イエス様よ。僕が地上にいたとき、殺人と窃盗だけが罪だと思っていました。そのため、僕はあなたに近づこうとしませんでした。」詩篇9章17節より、「 悪者どもは、陰府(よみ)に帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も。」
アンドレは、現在の多くの人々と同じように罪を区別するという大間違いをした。罪の報酬は死だと、そして神の贈り物は永久の命だと聖書ははっきり語る(ローマ6章23節)。 さらに、どんな罪でも同じ罪だから聖書は罪の区別しない。アンドレは、イエスを受け入れる機会を逃したのだった。多分、彼には主を知る無数の機会があった 筈なのに、全く神の御言葉に耳を向ける気がなかった。その結果、彼はここにいる。すると、大きな炎はアンドレを巻き込んだ。
私達はイエスと一緒に歩き続けた。先に、粗大ごみのように落ちているものを見かけた。近づいてみると、それは地獄に落ちた人達だとわかった。心に主イエスを受け入れずに死んだ人達は地獄に落ちていた。
数多い悪霊にいじめられている若い男性を見た。彼の体はすぐにうじだらけになった。「嫌! 何これ? 止めろ! ここにいたくない! これは夢だ! 誰か俺をここから出せ!」と彼は大声で叫んだ。自分がイエスなしで死んだと彼にはわかっていなかった。悪霊達は彼をからかいながらいじめていた。すると、彼の額には666の数字、胸には板金が表れた。彼が地獄に来た理由を私達にはわからなくても、彼が永遠にそこにいるのは確かなことである。
地獄にいる人達の苦痛は、裁きの日にさらに激しくなると主は言われた。こんなに恐ろしく苦しんでいるなら、彼らは裁きの日にどのぐらい苦しむか想像できない。
そこに子供はいなかった。あらゆる国の若者、男性、女性が無数にいた。やはり、地獄には国籍や社会的地位がない。皆は拷問されることと苦しむために地獄に いる。彼らは皆、ただひとつだけの願いを持っていた。それは一瞬の間だけでも地獄を去ること。彼らは聖書の金持ちと同じように、水の一滴を欲しがっていた(ルカ16章19節)。 しかし、それは不可能なものだった。彼らが(自ら)永遠にそこで過ごす道を選んだからだ。彼らが神のいない永遠を選んだのだった。神は誰でも勝手に地獄には送られません。人々は自分の行為の結果として、地獄に行くのです。ガラテヤ6章7節より、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」
今、あなたには自分の永遠の道を選ぶ機会があります。今イエス様を受け入れることが可能です。それに、聖書によりますと、命ある限り希望があります。今のあなたには、命があるからこの機会を逃さないでください。これが最後の機会かも知れません。
神の祝福が訪れますように。
No comments:
Post a Comment